家族の最近のブログ記事

父の日に帰省

  • 2008年6月16日 11:51
  • 家族

父の日だった日曜日、妻を伴って両親と祖母のお見舞いに帰りました。

3人とも病気?と心配される方もいらっしゃると思いますが、まあ、そんなところです。
でも、地元には、弟と妹が居て、よく面倒を見てくれるので、なんとかなっているような感じです。
おそらく弟妹がいなければ、私は、地元に帰らなくてはいけなかったでしょうし、経済的にも破綻していたでしょう。

SPARKSのロンドンライブのおかげで、早起きの習慣がついていた我が家は、難なく9時台の新幹線で四日市まで。

お昼には、昼食を祖母、弟、妹、妻、私の5人で。祖母は、病気ではないけど、大正生まれで、高齢(93歳!)の割には動くため、なんとかという骨にヒビが入ってしまったそうです。(半年前にも、骨折して入院していたし)

その後、5人で、戦争で亡くなった祖父のお墓参り。というか、草むしり。
お墓に来たのは、この20年で、3回くらいしかありません。地元に住んでいないから、疎遠になっていました。子供のころの記憶ではもっと広かったのに、大人になってから見ると意外とコンパクト。これが成長した証拠なのでしょうか。

その後、今度は5人で、母の入院している病院へ。母は、私と同じ脊髄小脳変性症で、自宅介護を受けていたのですが、昨年秋、24時間看護をしていた父が突然の交通事故のため、面倒を見れる人が居なくなって施設に入所。
でも、一時期と比べれば、だいぶ顔色もよくなって、元気そうでした。耳が遠くなって白内障で目が濁ってきたから何も見えないとか言っていたけど、年をとるとはそういうことなのかもしれませんね。まだ66ですが。

母と話をしていると、隣の病棟に入所している父がやってきました。家族全員が揃うのは、数年ぶりかもしれません。
父は、体力だけはあって、事故当時は、命すら危ぶまれましたが、今では、つかまり歩きができる程度に回復しています。ただ、脳挫傷のため、記憶があいまいで、しかも、補聴器を使用しているため耳が遠く、なかなか会話が成り立ちません。

私のことが誰だか尋ねると、名前は出てきませんでした。なんとか、自分と関係があることだけは理解しているようです(まあ、かなり似ていますから)。また、普段会えない人だとは分かっていたようです。
妻のことを確認すると、今度は、普通に「奥さんに決まっとるがな」と。
まったく普通に受け答えをしたのには驚きました。一瞬、記憶が戻っています。

しかし、その後、また、会話をしようと、話題を振ると、まったく検討違いのことを言い出す始末。
妹が、父の日のプレゼントを用意しており、それを渡したので「今日は何の日か知っている?」と聞いても、もちろん、分かるはずもなく、それが自分へのプレゼントだとも理解できません。プレゼントは、父が施設で普段着れるスウェットでした。

多分、このやり取りを見たら異常に見えるかもしれません。
祖母と母が車椅子に座り、父はかろうじてたっていて、私も杖をついているわけで、なんという一家だと(笑)
そこで、笑ってしまうのが、我が家なのです。
特に、ろれつが回っておらず、家族の私たちでさえ、かなり聞きづらい母の言葉が、なぜか、父には、一発で分かります。
そこにこの夫婦(両親)のすごさというか、何か間に入れないものがあるのだと思いました。そういう夫婦になりたいと思います。

約1時間ほど、ゆっくりと話をして、母が疲れたので、施設を後にしました。

その後、親戚の美容院に行きました。なんと私の写真と妻のイラストが飾ってある!いい人だ!!
だから、お土産は、先日あった妻の個展のポストカードです。いろいろ話をして、最後は、みんなで夕飯を。

その夕飯は、開店してから50分で完売するという、おいしい「うなぎ」屋さん。こちらのうなぎは蒸さないので、サクッふわッです。私は「ひつまぶし」をいただき、帰路につきました。
新幹線の予約の仕方が下手で、名古屋駅で待ちすぎましたが、昨日は自己最高記録の6000歩を歩きました。(最近、歩数計持ち歩いています)

あと、足のマッサージなどをこまめにすることで、歩くことができる距離が伸びますし、次の日への疲労の蓄積が少ないようです。

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誕生日

  • 2005年12月 8日 10:54
  • 家族

今日、12/8は、私の35回目の誕生日だ。
「1リットルの涙」では、進行が早くて、どんどん悪くなっていくが、私の場合は遅い。
だから、あと30年くらいは、なんとか仕事ができるレベルで体を維持したいと思っている。

あと、30年後は、65歳。

ところで、今週の「1リットルの涙」で、病気を持った人間に関わるということの覚悟がどれだけ、大変な覚悟なのかをテーマにしていた。
私の場合、妻がいるのだけど、そこは、心苦しくもあり、ありがたくもあり、複雑な心境だ。
あと30年以上、妻には、感謝しつづけよう。

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いとこ

  • 2005年8月21日 18:16
  • 家族

いとこから電話があった。
15年ぶりくらいに話をした。

いとこも、症状が出ているらしい。まあ、親の姉妹がみんな出ているのだから、その子供に出ないことの方が珍しいのかもしれない。

とりあえず、自分の症状と、現状の対策を話した。
いとこは、他の病気(心疾患)も患っている(年齢も50過ぎだし)ため、折りを見て病院に行って見ようということだった。

一番大事なのは、日常生活に支障を来たす物事を最優先させることなのだと思う。
この病気よりも、そちらを最優先させて欲しい。

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入院を知らせる

  • 2005年4月 5日 00:36
  • 家族

実家の両親に、入院を連絡した。

まあ、心配はしていない。慣れている。

母親の処方してもらっている薬にはセレジストがあることがわかった。
そして、過去、たぶん、私が小学生のころに、私と同じような初期治療を受けたのかもしれない。

隣の県にある、医大で15日間の入院をしていたのを覚えている。
私は、お見舞いにも行った。そのころは、母は、今の私と変わらず普通に生活していたし、外見上は、病気だとまったくわからなかった。

ついでに、ヒルトニンがいくらくらいかかるのか聞いたら、知らなかった・・・。

医療保険とか、補助金とかで全部無料扱いだそうだ・・・。

私の場合、今回のは、まだ、その申請をするための入院なので、ある程度は覚悟しなければいけないだろう。

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妻の反応

  • 2005年3月14日 23:18
  • 家族

入院が必要だといったら、妻は、心配していた。

実は、妻は、入院暦がある。しかも、髄膜炎による緊急入院で大変だった。
当時、私は、仕事と家事に追われながら、毎日、妻を見舞った。

その印象があるからだろうか、妻にとって、入院とはあまり良い印象ではないのだろう。

私にとっては、入院とはいえ、外出も自由と聞いているので、毎日、病院から自宅に帰ってきて、仕事をして、病院へ帰るというのもアリだな、と思っている。(実際、どうなるかはわからないが)

また、病気がほとんど決定的になったのが、ショックだったみたいだ。

私にとっては、この病気かなと思い始めて、10年近く経ち、やっとそういう判断が下されたので、気分的には、すっきりした感もある。

あと、実家にいる両親や兄弟にも知らせなくてはいけないが。

特に、弟は、おそらく同じ病気だろう。症状が似ているのだ。

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