椎名誠写真展と講演会に行ってきた-五つの旅の物語-
今日(2010年2月20日)、品川のキャノンで開かれている椎名誠写真展「五つの旅の物語 プラス1」を記念した講演があったので行ってきた。
シーナさんが、写真を撮るきっかけになったこと、人生を大きく変えてくれたアサヒカメラで現在(18年目くらいらしい)もつづく連載をしている理由から、展示の写真のスライドを見ながら、これはどうだった、この人はどういう人で、どんな状況で、と楽しく話しを聞けた。
実は、かってに共感しているところがある。椎名誠の写真には写真データがないのだ。その代わり文章がつくけど。私の写真には文章がつかない・・・
写真には、ISOとか、レンズのF値とか、機種の名前がよくある。実は、インプレスのGANREFではこれらを記入しないと、コンテストにすら出せないし、Photoshopで色調整したことも記入する必要があって、そういうことを事細かく覚えていられない私は、とっくに諦めたのだった。
ホントは出そうと思ったこともあったけど、こころが折れました・・・
で、話しを戻すと、シーナさんも、レンズの口径とか雑誌に写真を掲載するときには、出すのだけど、20mm、50mm、200mmとか、適当に言うからバレてしまうらしく笑っていた。(いくら詳しく無くても、しばらく写真を撮れば、その違いくらいはわかるから、無理もないけど)
(ここで、勝手に共感していた私です)
椎名誠で思い出した・・・
本の雑誌社にいらした写真家の上原ゼンジさんとお話をする機会があって尋ねたことがある。
「偶然撮れた写真を自分の作品といえるのかどうか迷うんですよね」と言った私に
「偶然でもなんでも、その写真を選択して作品にしようとした意識が、すでに他の人とは違うから作品なんですよ」(みたいなことだけど)と言われて、はっとした。
つまり、自分のカメラで撮ったものを、作品として選定した時点で、立派な制作行為なのだと。
だったら、GANREFで必死に作品を発表しなくてもいいということだ(と自分を正当化した)。
(閑話休題)
シーナさん曰く、写真には物語があって見ている人はそれを知りたいだろうし、それを文章で説明したいと思っていた。それが物書きとしての写真表現だと。
そしたら、人生を変えるきっかけになった「アサヒカメラ」からオファーが来て、とびついたそうだ。椎名さんにとって「アサヒカメラ」は特別な存在で、しかも自分の人生を救ってくれた恩人。いつか掲載されることを夢見ていたのだと思う。
それが先方からオファーが来たのだから、かもねぎか、飛んで火にいるなんとかだろう。
しかも、その連載は今もつづいていて、今度は、自分の写真で救える人生があればいいと思って、使命感をもった連載に変化したと言っていた。
少なくとも、私の人生には影響を与えてるような気がしました。
(閑話休題)
あと、突発的にいろんなことを始めるのは好きで音頭とるんだけど、飽きっぽくて長続きしないそうですが、周りで巻き込まれる人が優秀な人材だから、なんとか軌道に乗っているらしいです。創業者ってカッコいいけど、とかも(笑)
そんな人、私の周りにも二人ほどいます。エネルギッシュです。私は間接的だから面白おかしくみていますが。
(閑話休題)
しかし、物書きだからか、話しの展開が分かりやすくてつじつまが合っていて、そこが職業としてなせることなんだろうな、とか変なところを感心してました。
私は、シーナさんが言っているファミリー写真に通じる、辺境地などの目力の強い子供の写真や、日本の地方で撮ったその辺の親父の笑顔がたまらなく好きです。
それは、たぶん、ドキュメンタリー好きなところにも通じているように思いました。
今日は、自分にとっての写真とはなんなのか、10代の終わりの感性を預けた人がどんな人だったのか、確認できて良かった。あえていうなら、いい人で良かった、と思いました。
たくさん買った写真集のすべてにサインをしていただきました。
中でも一番手前の子供の顔の表紙のヤツはアサヒカメラ別冊で1995年に出たもので、私の中で椎名誠という作家がすきだなぁ~と核心した本なのでした。サインしてもらえて良かったです。
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